中村好文の住宅と建築

彼は、1948年に千葉県九十九里町で生まれ、1972年に武蔵野美術大学を卒業し、数年間宍道設計事務所に勤務・退職した。その後、東京都立品川職業訓練校木工科で家具の製作を学んだ。
1976年から1980年まで「吉村順三設計事務所」に勤務して、家具製作アシスタントを務めた。
1981年に独立して設計事務所「レミングハウス」を設立した。
1987年に、長野県に「三谷さんの家」(下の写真)が完成した。

三谷さんの家3.jpg

オーナーの三谷さんは、木工デザイナーであり、もともと物置小屋だったところを増改築した、8坪の最小住宅である。
1994年に、千葉県長南町に「美術館 as it is」(下の写真)が完成した。

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房総半島の中央部にある町、長南町につくられた小さな美術館で、「as it is」は「あるがままに」という意味です。
土蔵や小住宅を思わせる建物は、アジア、アフリカなどで日常生活に使われていた工芸品を展示している。
2007年に、愛媛県松山市に「伊丹十三記念館」(下の写真)が完成した。

伊丹十三記念館2.jpg

映画監督「伊丹十三」の記念館で、「常設展示室」には、「伊丹十三」の足跡を具体的な資料でたどることができるよう、十三の名前にちなむ13のコーナーが設けてあります。
2005年に、長野県御代田町に「Lemm Hut」が完成した。

レミングハウス.jpg

エネルギー自給自足を目指す実験的な小屋であり、もともとこの場所に住んでいた開拓者の簡素な住宅と土地を借り受けて、構造体のブロック壁だけを残して増改築した。
2011年に、京都府京田辺市に「レストランルスティク」(下の写真)が完成した。

レストランルステック.jpg

「ルスティク」とは、フランス語で「ひなびた」とか、「田舎の」という意味で、京田辺の郊外に建っています。近くには、同社大学の田辺キャンパスがあります。
2015年に、奈良県奈良市に「鹿の舟」(下の写真)が完成しました。

鹿の舟2.jpg

奈良の観光案内施設と食堂が融合した複合施設です。
彼は、様々な建物を紹介するエッセイストとして執筆活動を行っている。

今回は、「Wikipedia」、「新建築ONLINE」他を参考に紹介しました。

今回は、ここまで!!


住宅建築家 三人三様の流儀




中村好文 小屋から家へ




暮らしを旅する




食う寝る遊ぶ 小屋暮らし




建築家のすまいぶり (エクスナレッジムック)





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阿部勤の自邸と建築

今回は、阿部勤の「自邸」及び「住宅建築他」を紹介します。
彼は、1936年に東京都に生まれ、1960年に早稲田大学工学部建築学科を卒業し、坂倉準三建築研究所に勤務をした。
1966年には、タイ国文部省の要請によって、農業高等学校など25校の設計管理を行って、帰国し。
1971年に、坂倉建築研究所を退社した。
1974年に埼玉県所沢市に自邸「私の家」(下の図)を建てた。
自邸図面.jpg

この住宅は、敷地に対して30°ずらして配置して、四方に庭を確保することが出来、東側の角に大きなケヤキが植わり、それがこの家のシンボルツリーになっている。(下の写真)

私の家(外観).jpg

住宅の1階は、打ち放しコンクリートの壁式構造で、壁に囲われた室内はやや暗い空間となっているが、2階を木造軸組み構造で大きな開口部取ることで明るい内部空間になっている。構造的には混構造のたてもので、さらに平面的には、二重の入れ子構造になっている。
その入れ子の中心部分の1階には、「リビング」を配置して、その廻りにキッチン、ダイニング、コージーコーナーなどを配している。その「リビング」と外部の間にアウトリビングと呼ばれる半外部空間があり、内部と外部との緩衝帯となっている。(下の写真)

私の家(リビング).jpg

1階の「キッチン」の脇には、外部に突き出してパントリーが配置され、外部に出る勝手口がついいる。
「リビング」の真上の2階には、「寝室」があり、外周部に「アトリエ」などが配置されている。(下の写真)

私の家(アトリエ).jpg

「寝室は、アトリエの床より770mm上がっている。
2004年に、「第5回日本建築家協会25年賞」を受賞した。この賞は、25年以上に亘って「長く地域の環境に貢献し、風雪に耐えて美しく維持されて…」いる建築物に対して表彰している。
1975年に、東京都目黒区に完成した「五本木ハウス」(下の写真)が完成した。

五本木ハウス.jpg

2007年には、「第7回日本建築家協会25年賞」を受賞している。
1982年に東京都世田谷区下北沢に「賀川豊彦記念松沢資料館」(下の写真)が完成させた。

賀川豊彦記念館.jpg

この建物の中央に教会の尖塔が見えているが、かつてこの地にあった「松沢教会の礼拝堂」をそのまま新しい建物の中に包み込んでいる。
1983年に、長野県茅野市に建てた「蓼科荘レークサイドスタンレー」(下の写真)が完成した。

蓼科荘スタンレー.jpg

この建物で、1985年に「第4回日本建築家協会新人賞」を受賞した。
1983年には、神奈川県横浜市に「美しヶ丘の家」(下の写真)が完成した。

美しヶ丘ノ家.jpg

この建物も、2009年には、「第9回日本建築家協会25年賞」を受賞している。
1985年に、神奈川県横浜市に「スタンレー電気技術研究所」が完成した。

スタンレー技術研究所.jpg

比較的低層の建物で、住宅関係の多い作品のなかで中高層で、事務所建築の作品は珍しいと思う。
この建物も、2011年に「第11回日本建築家協会25年賞」を受賞している。
ここまで、見てくると「日本建築家協会」からの受賞回数が多いのも珍しいことであり、素晴らしい建物であり、住む人も含めて満足のいく設計だあると推察出来る。

今回は、「Wikipedia」、「アルテックH.P」他を参考に紹介しました。

今回は、ここまで!!

参考

暮らしを楽しむキッチンのつくり方


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槇文彦の自邸と建築

今回は、槇文彦の「自邸」を中心に、数多い作品の中から代表的建築作品の一部を紹介します。
彼は、モダニズム建築やメタリックな建築作品で知られる日本を代表する建築家です。
彼は、1928年に、東京都に生まれ、1941年に慶應義塾幼稚舎を卒業し、慶應義塾普通部を経て、慶應義塾大学予科を中退し、東京大学工学部建築学科に入学し、1952年に卒業した。卒業後、「丹下研究室」で外務省コンペに携わる。
1952年、外務省コンペ終了後、渡米して1953年に、クランブルック美術学院修士課程を修了し、1954年にはハーバード大学大学院建築修士を修了した。終了後、「スキッドモア・オウイングス・メルリ(SOM)建築事務所」に入所し、翌1955年から「セルト・ジャクソン建築事務所」で勤務した後、ワシントン大学準教授に就任した。
1960年に、名古屋市にある「名古屋大学東山キャンパス」内に「豊田講堂」(下の写真)の設計を行い、完成した。

名古屋大学豊田講堂.jpg

この建物は、「トヨタ自動車工業(現・トヨタ自動車)」の寄付によって建てられた、鉄筋コンクリート造、コンクリート打ち放しの地下1階、地上3階建ての建物である。
1962年から1965年までハーバード大学準教授を務める。
1965年帰国後、「槇総合計画事務所」を開設して、慶應義塾大学の縁がもとで「代官山集合住宅計画(ヒルサイドテラス)」の立案をすることになり、1969年に第Ⅰ期工事(A・B棟)が完成した。(下の写真)

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この場所は、計画当時は第一種住居専用地域であったが、この計画を実施するにあたって行政と掛け合い用途規制緩和によって住居と店舗を混在させることが出来た。
そして、1973年には第Ⅱ期工事(C棟)が完成した。(下の写真)

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このC棟は、A・B棟の前の道路(旧山手通り)を北側に向かって登って行ったところに建っている。そして、その隣には第Ⅲ期工事で完成したD棟が建っている。(下の写真)

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第Ⅲ期工事は、1977年にD棟の裏側にあるE棟も同時に完成した。
第Ⅳ期工事は、1985年にアネックスA・B棟が完成し、第Ⅰ期工事のA棟の南西部分に建っている。1987年には、第Ⅴ期工事「ヒルサイドプラザ」が完成し、1992年には第Ⅵ期工事のF・G・N棟がそれぞれ完成した。
そして、1998年に、第Ⅶ期工事で「ヒルサイドウエスト」(下の写真)が完成した。

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「ヒルサイドウエスト」は、「ヒルサイドテラス」の一部であるが、第Ⅰ期から第Ⅵ期工事のエリアより少し北側の一角に建てられ、A棟からC棟の3棟で構成されている。「代官山集合住宅計画」は、30年の歳月をかけて完成してきたが、一人の建築家の計画が、長い年月をかけて完成するのは、稀有なことである。
1978年には、東京都品川区に「自邸」(下の写真)を完成させた。

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この建物は、地上2階、地下1階の規模の建物で、2世帯住宅である。30年の年月の間増改築をしていないで当初のままの状態を維持して来た貴重なケースの建物でもある。建設当初から、室内は真っ白な内装で珍しいことであった。(下の写真)

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30年間維持す続けることは、住む人の家に対する愛情の結果の表れでもある。
1979年から1989年まで、東京大学工学部建築学科教授を務める。
1985年には、東京都港区にワコールアートセンター「スパイラル」(下の写真)が完成した。

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この建物は、地上9階、地下2階の複合文化施設である。彼の1980年代のポストモダン建築の代表作であり、この建物の「スパイル」の命名は、ワコール社長塚能交がした。それは、1階から3階の吹き抜けの螺旋状のスロープに由来し、このスロープで1階のカフェからショップを通って3階の多目的ホールに導かれている。
1986年には、京都市に「京都国立近代美術館」(下の写真)が完成した。

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この建物の前に平安神宮の大鳥居があり、それを意識したようにシンメトリーのファサードである。外観の仕上げには、石の重厚さと、金属サッシとガラスの透明感を共存させ、統一感を持たせている。
1989年には、千葉県千葉市に「幕張メッセ」(下の写真)を完成させた。

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第Ⅰ期工事で完成したこの建物は、「国際展示場1ホールから8ホール」で、展示面積54,000㎡の大規模の展示スペースを持っている。そして、第Ⅱ期工事が1997年に完成したのが「幕張メッセ北ホール」(下の写真)である。

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この建物は、「国際展示場9ホールから11ホール」で展示面積18,000㎡の規模のスペースを持つ。
1990年には、渋谷区千駄ヶ谷に「東京体育館」(下の写真)が完成した。

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この建物の前身は、1954年に「東京都体育館」として完成した。その後、老朽化が進み全面改築の必要性が生じ、全面改築が行われ1990年にオープンしたのが、今回の「東京体育館」である。そして、2012年にやはり老朽化により改修工事が行われ、2013年にリニューアルオープンした。
1997年は、大分県中津市に「風の丘葬祭場」が完成した。

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この「風の丘葬祭場」は、1998年に「村野藤吾賞」を受賞、2003年は、ランドスケープ部門でグッドデザイン賞を受賞している。葬祭場が評価されるのは珍しいことであり、「グンナール・アスプルンド」の「森の墓地」を彷彿させる。
2003年には、港区六本木に「テレビ朝日本社ビル」(下の写真)が完成した。

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このビルは、森ビルが主体となって、「六本木六丁目再開発」の「六本木ヒルズ」の一角にある。古くは、長府毛利家の屋敷があり、戦後ニッカウイスキーを経てテレビ朝日に移って、テレビ朝日のビルが建っていた場所である。
2003年には、新潟県新潟市に「朱鷺メッセ」(下の写真)が完成した。

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「朱鷺メッセ」は、「新潟コンベンションセンター」と「万代島ビル」の2棟で構成されていて、建物全体は、船をイメージしている。ガラスと金属による透明感のある表層部と、水平性と垂直性によって万代島の景観の核をなしている。
2013年アメリカニューヨーク州ニューヨークに「フォー・ワールド・トレード・センター」(下の写真)が完成した。

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2001年9月11日のアメリカ同時多発テロによって「ミノルヤマサキ」が設計した「ワールドトレードセンター」の「ツインタワー」が旅客機が追突して崩壊し、同時に「ワールドトレードセンター」すべてのビルが崩壊した。崩壊前には1から7までのビルが建っていた。その1から7までのビルの再建計画が出され、最初に「ワン・ワールドトレードセンター」と「フォー・トレードセンター」が完成した。その他は、その後、完成または現在も建設中であるが、
「シックス・トレードセンター」のみ計画が未定の状態にある。
彼の数多くある作品から、一部を紹介しましたが、彼は、今まで数多くの賞を受賞されていますが、1993年に「プリッカー賞」を受賞、1999年には、「高松宮殿下記念世界文化賞」を受賞しています。
最近は、「新国立競技場」の問題提起を建築家の立場でしていますが、安倍首相の一言で白紙撤回され、今現在未定の状態にある。

今回は、「Wikipedia」、「高松宮殿下記念世界文化賞HP」、「建築家が建てた妻と娘のしあわせな家」他を参考に紹介しました。

今回は、ここまで!!

☆参考



建築から都市を、都市から建築を考える


槇文彦 槇総合計画事務所2015: 時・姿・空間―場所の構築を目指して


新国立競技場、何が問題か: オリンピックの17日間と神宮の杜の100年


posted by Bokusai at 11:07Comment(0)建築