立原道造のヒヤシンスハウス

今回は、若くしてこの世を去った詩人で、建築家としての立原道造の唯一の建築作品を紹介します。
この建築作品は、彼の生前に建てられたものではなく、彼の残した構想図面(下の画像)に基づき、2004年にさいたま市の別所沼公園に再現した建物で、2003年に、さいたま市の政令指定都市への移行に伴い、別所沼公園がさいたま市に移管された。それを機に、「詩人の夢の継承事業」としてこの建物が実現した。

立原道造(ヒヤシンスハウス図面)Ⅱ.jpg

立原道造は、1914年に日本橋橘町に生まれた。13歳のころから歌集をつくり、亡くなるまでに多くの詩集を製作した。
1934年に、東京帝国大学工学部建築学科に入学し、岸田日出刀研究室に所属した。一学年下に、丹下健三、浜口隆一が、二学年下に第一高等学校同期の生田勉が在籍していた。
1937年に大学を卒業すると、石本建築事務所に入所して、「豊田氏山荘」(下の画像パース)を設計したが、実現することはなかった。この石本建築事務所にタイプライターとして勤務していた水戸部アサイと交際し、詩集「優しき歌」をつくった。1939年に第一回中原中也賞を受賞した。

立原道造(豊田氏山荘図面).jpg

今回紹介する立原道造の「ヒヤシンスハウス」(下の写真)は、1937年の冬から翌年の春にかけて、当時、葦がおい繁り静寂をきわめた別所沼の岬に、彼自らのための小さな週末住宅を建てようと考えていたが、1939年3月29日に24歳で若さで亡くなり、実現出来なかった週末住宅の再現である。

立原道造(ヒヤシンスハウス外観).jpg

片流れで日差しは良いが、思ったより軒先の出が少なく、心配な面があるが、週末の独身者の住宅であるなら充分こと足りるのであろう。
内部(下の写真)は、ワンルーム形式で、ベッド、机、テーブル、物入れ、トイレが配置されていますが、それ以外は、週末住宅なので不用としたのであろう。

立原道造(ヒヤシンスハウス内部).jpg

四方に窓開口があるので、採光も充分に取れ、心配した暑さに関して風通しも良く、充分に週末の日々を快適に過ごすことが出来たのではないだろうか。
1952年にカップ・マルタンにル・コルビジェが晩年つくった休暇小屋「キャバノン」(下の写真)があるが、それより15年くらい早く彼は、最小居住空間(約4.4坪)を考えていた。

ル・コルヴジェ(休暇小屋).jpg

ル・コルヴュジェは、1966年に亡くなるまで毎年バカンスをこの休憩小屋で過ごした。

今回は、「Wikipedia」、「Haus-Hyazinth official site」、「Casa BRUTUS」を参考に、紹介しました。

今回は、ここまで!!

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丹下建築断念


「丹下建築の改修断念」の記事で「日経アーキテクチャ(2014年7月10日)」に記載され所によると、香川県は、故・丹下健三氏が設計した香川県立体育館(高松市)の耐震改修を断念することを決めた。入札不調が3回続いたことを受け、施工者を決めるのは難しいと判断した。今後は、取り壊しも含めて検討する。

丹下健三(香川県体育館Ⅱ).jpg

同体育館は、吊構造の曲面屋根と舟形のダイナミックな形状が特徴で、1964年に完成した。構造は、鉄筋コンクリート造の地上3階建てで、延べ床面積約4,700㎡、香川県庁舎東館(旧本館)と並ぶ丹下健三の初期の代表作品である。
老朽化によって耐震強度の不足から、耐震補強を決定して2013年5月までに実施設計を終えた。実施設計は、丹下年建築設計で行い、鉄筋コンクリート耐震壁と基礎の補強で耐震化し、炭素繊維シートによる屋根の補修も含む設計とした。

丹下健三(香川県体育館Ⅱ-1).jpg

丹下健三(香川県体育館Ⅱ-2).jpg

改修工事の一回目の入札が2013年11月に一般競争入札で応札社がなく不調に終わった。2回目も入札不調に終わり、3回目は「見積もり徴収型に」に切り替えて3社が希望したので見積りを徴収して3回目の入札を公告したが、2014年12月には入札者が無く不調に終わった。
不調の原因を「全国的な職人不足と資材価格高騰に加え、とり屋根などの特殊な構造形式が影響している」と香川県営繕課の担当者は話す。

ここまでの、ニュースは、「ケンプラッツ」を参考に記載しました。

この建物を、「住まいのインテリア企画室のHPで「コンクリート打ち放しの問題」として紹介しましたが、表面的な面だけで耐震強度不足の問題は取り上げませんでした。しかし、リフォームやリノベーションをするときは、設備の更新や耐震補強も含めて行いますので、予算の問題はともかくとしてリフォームやリノベーションによって再利用することは可能です。
丹下健三の建物が、最近でも「赤坂プリンスホテル」や「モリハナエビル」が解体されました。ここでも、保存と解体の問題が発生しましたが、経済的見地から解体・新築になりました。
これからは、環境保全や資源有効活用の面からも、リフォームやリノベーションに行って、ヨーロッパのように古い街並みを大切にするような街つくりをして欲しいものである。
それは別として、現在「モリハナエビル」は、「オーク表参道」ビルとして丹下都市建築設計の設計で生まれ変わりました。

丹下健三(オーク表参道).jpg
(上の写真は、公式ホームページより)

数多くの丹下健三の建築作品が、姿を消して行きますが、それでも「代々木体育館」や「東京カテドナル聖マリア大聖堂」、「広島ピースセンター」などが数多くの建築作品が残っています。
今後も老朽化し、耐震補強等が必要な建物も多くなると思いますが、環境保全や資源の有効活用などを考慮して、古いものでも残して欲しいものです。

今回は、ここまで!!