隈研吾の住宅建築Ⅱ

彼は、1954年神奈川県横浜市に生まれ。
1973年に東京大学工学部建築学科に入学し、1977年に卒業、東京大学大学院建築意匠専攻修士課程を修了した。
卒業後、日本設計、戸田建設、コロンビア大学建築・都市計画学科客員研究員を経て、1990年に「隈研吾建築都市設計事務所」を設立した。
前回に続いて彼の「住宅建築」について紹介します。
2007年に、東京都文京区に「『鉄』の家」(下の写真)が完成した。

鉄の家.jpg

この家は、「3.2mm厚のコルゲートの鉄板を用いて、柱梁のない、鉄道の貨車のようなモノコック構造の家を作った。クライアントが鉄道の熱烈なファンであり、家の中には数千台の鉄道模型が保管されている。彼も貨車の中に暮らすような生活をのぞんでいた。L字形の特殊な敷地形状に合わせて、細長い貨車がL字形に折れ曲がって坂道に停車したような姿の家となった。」と書いている。
2008年に、東京都渋谷区に「木/氷山(Wood/Berg)」(下の写真)が完成した。

ウッドバーグ.jpg

この建物を「都心部の中層(6層)の建築に、fold(折る)という操作と木製ルーバーという「やわらかな」素材を用いることによって、住宅的なヒューマンスケールとやわらかさとを与えた。」と書いていて、「外壁バルコニーの手すりなどのすべての建築のサーフェースを同一の木製ルーバーで覆うことによって、建築の輪郭線をやわらかく曖昧にすることが可能となった。」と書いている。
2010年に、アメリカ、コネチカット州ニューキャナンに「ガラス/木の家(Glass/Wood Hous)」(下の写真)の増改築が完成した。

ガラス/木の家.jpg


「フイルップ・ジョンソン」の友人の建築家「ジョン・ブラック・リー」のモダニズムの自邸(1956年)の改修及びガラス張りの新棟を増築した。コンセプトは、「木とガラス組み合わせによって、ニューキャナンの精神を批評的に継承した」と書いている。
2012年に、東日本に「水/チェリー(Water/Cherry)」(下の写真)が完成した。

水/桜.jpg

この建物は、「太平洋を見下ろす崖の上に立つ、分離型のヴィラ。分離(多島海)スタイルを採用することで、それぞれの棟に、茶室のようなヒューマンスケールと暖かさとを与えることができた。外壁にも室内にも「ヤマト貼り」と呼ばれる板を互い違いに貼る、日本の伝統のディティールを多用して、ディテールにおいても「小ささ」を追求した。」と述べている。
下の映像は、新建築で出しているものです。



2017年に東日本にゲストハウス「水/石(Water/Stone)」(下の写真)が完成した。

水/石1.jpg


この建物は、「湖に向かう斜面地に、日本庭園と一体化したヴィラをたてた。一棟の大きな建物をたてるのではなく、機能に応じて5棟に分割して、完全に別棟化することによって、建築を複雑な地形へとなじませることが可能となり、村のようなヒューマンな雰囲気を創造することができた。」と書いている。


今回は、「Wikipedia」、「隈研吾建築都市設計事務所HP」他参考に紹介しました。

今回は、ここまで!!

☆参考




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posted by Bokusai at 11:14Comment(0)住宅

隈研吾の住宅建築Ⅰ

彼は、1954年神奈川県横浜市に生まれ。
1973年に東京大学工学部建築学科に入学し、1977年に卒業、東京大学大学院建築意匠専攻修士課程を修了した。
卒業後、日本設計、戸田建設、コロンビア大学建築・都市計画学科客員研究員を経て、1990年に「隈研吾建築都市設計事務所」を設立した。
彼の数多い作品の中から「住宅建築」について紹介します。
最初に、1988年に静岡県熱海市に別荘「伊豆の風呂小屋」(下の写真)を完成させた。

伊豆の風呂小屋.jpg

彼は、「別荘は普通はメルヘンになりますが、そういうものではない別荘をつくりたいと考えて、ここではトタン板のバラックの別荘をつくりました。二階の先端のとんがった部分に風呂場があり、そこから太平洋や大島が見渡せます。」とコメントしている。(東西アスファルト事業協同組合講演会より)
2002年には、東京都目黒区に「プラスチックハウス」(下の写真)を完成させた。

プラスチックハウス.jpg

彼は、「障子のようなトランスルーセント(半透過性)な素材を用いて外壁をつくり、日本の伝統的空間がもつ、やわらかな光の質を、現代の都市の中で再生しようとし、階段やバルコニーの床にはFRPでできた既製品のグレーチングを用い、手摺にもFRP製の角パイプ、丸パイプを用いて、プラスチックの既製品でも、人間の体になじみ、温かな空間をつくり出すことに」挑戦した。
2003年には、長野県軽井沢町に別荘「森/床」(下の写真)を完成させた。

森/床.jpg

この建物は、森の中に一枚の床を浮遊させ、地上2.5mのレベルで森と一体化した生活を作り出そうと考えて造られた。
屋根は、中心の2本の柱によってアンブレラ方式の構造によって支持され、外周部分の柱をなくしている。
2005年には、神奈川県に別荘「ロータスハウス」(下の写真)を完成させた。

ロータスハウス.jpg

この建物は、「深い山の中の静かな川岸に、自然と建築とが溶け合った状態をつくろうと考え、川と住宅との間には水をはり、蓮を植え、住まいが蓮池を媒介にして川へ、そして対岸の森へと連続していく状態を作ろうと考えた。」との元に作られた。
建物は2棟に分割され、その間に生じた穴の形状をした大きなテラスが、裏側の森と対岸の森とをつなぐ役割をはたし、壁面もまた無数の穴としてデザインされている。石という重量感のある素材を用いながら、風の吹き抜けるような軽やかな壁面を作っている。
2006年に、東日本の片隅に別荘「YHütte(ヒュッテ)」(下の写真)が完成した。

Yヒュッテ.jpg

この建物は、垂直面を避け、傾いた面(壁というよりは屋根に近い)を三方向からお互いに寄りかかるように立てかけて、その内部に空間を生成し、平面プランも三角形である。

今回は、「隈研吾建築設計事務所HP」、「Wikipedia」他を参考に紹介しました。

2005年以降の住宅作品は、次回で紹介します。

今回は、ここまで!!

☆参考




posted by Bokusai at 09:36Comment(0)住宅

内井昭蔵の住宅建築

内井昭蔵は、1933年に東京市神田区に生まれ、1952年に早稲田大学第一理工学部建築科に入学し、吉阪隆正らの指導を受け、1956年に早稲田大学を卒業し、早稲田大学大学院に入学した。
1958年に大学院を卒業して、「菊竹清訓建築事務所」に入所した。
1967年には、「菊竹清訓建築事務所」を辞め、「内井昭蔵建築設計事務所」を設立した。
1969年に、神奈川県横浜市青葉区に「桜台ビレジ」(下の写真)が完成した。

桜台ビレジ.jpg

この建物は、1階に店舗を配置し、傾斜地の中段に中庭設けることで敷地の条件に対応して、上部にスパイラル状のテラスを持つ住宅を配置した集合住宅である。この建物は、独立後最初の仕事であり、1972年にはこの建物は、「神奈川県建築コンクール優秀賞」を受賞した。
1970年には、この「桜台ビレジ」の近くに「桜台コートビレッジ」(下の写真)が完成した。

桜台コートビレッジ.jpg

この建物は、平均24°の傾斜地の敷地に平面的に45°に角度を振って雁行型に配置した。斜面中段に設けた路地から各戸の玄関を上下にずらすことによって各戸の独立性を確保した。一戸建て空間構造を集合住宅に取り入れた画期的な建物である。この建物は、1971年度「日本建築学会賞」を受賞した。
これの建物は、東急多摩田園都市総合開発計画の一環として行われ、この他に1971年に完成した「宮崎台ビレジ」の集合住宅がある。
1976年には、神奈川県横浜市旭区に「西谷の家小倉邸」(下の写真)が完成した。

西谷の家.jpg

大きな寄棟の屋根の下に2つの生活の場と家族が集う場所を設けて、プライベートゾーンの独立性とパブリックスペースを確保するために「多核コアシステム」を採用して構成された住宅である。この建物は、1978年に「神奈川県建築コンクール賞」を受賞した。
1980年には、兵庫県芦屋市に「兵庫の家金田邸」(下の写真)が完成した。

兵庫の家.jpg

この建物も傾斜地に建っているために、高低差による内部空間の断絶を解決するために中庭を半地下にすることによって空間の一体化を図っている。
1986年には、東京都港区に「高円宮邸」(下の写真)が完成した。

高円宮邸.jpg

この建物は、高円宮家の新居として新築された。住宅ではあるが、宮家としての来賓客のお迎えするなどの公的な性格を持たせる必要性から、中庭を中心に、「公室」、「私室」、「事務室」の各ゾーンを廻りに配置することによって構成した。
1988年には、京都府京都市西京区に「桂坂の住宅東CED、中央CED」(下の写真)が完成した。

桂坂の住宅CED.jpg
東CED          中央CED
基本設計の段階から購入者を決めることによって、バリエーションのあるプランニングが多い中において、景観上の統一感と各戸の独自性を活かしたファサードにしている。
1988年に、東京都世田谷区に「ネサーンスハウス」(下の写真)が完成した。この建物は、彼の「自邸」である。

ネサーンスハウス.jpg

「建築家のつくる家は、どうしても単純化の方向に行きがちである。・・・コンセプトを明快に表そうとすれば、形態も空間も単純にしたほうが良い。しかし、生活はプラスすることである。付加されることで馴染みやすさが生まれる。」と建築の家の難しさを書いている。
1993年は、東京都千代田区、皇居内に「吹上御苑新御所」(下の写真)が完成した。

吹上御所.jpg

昭和天皇の崩御に伴って皇居に住むようになった「今上天皇」のお住まいである。天皇のお住まいであっても、これが住宅なのだという原点に返って発想続けて設計された住宅である。
彼は、多くの建築作品を残しているが、住宅建築にも比較的多く作品を残している。

今回は、「Wikipedia」、「内井昭蔵の思想と建築」他を参考に紹介しました。

今回は、ここまで!!

☆参考





posted by Bokusai at 13:35Comment(0)住宅