ジャン・プルーヴェの住宅建築

「ジャン・プルーヴェ」は、1901年にフランス・パリに生まれ、父、「ヴィクトール・プルーヴェ」はナンシー派の工芸家であり、親交があった「エミール・ガレ」は、ジャンの名付け親でもあった。
1916年に、金属工芸家「エミール・ロベール」のもとに弟子入りをし、その後、「アダルベール・サボー」の工房に移った。さらに、パリの鉄工所で働いたり、騎兵隊への従軍経験などを経た後、1923年に独立して、自らの工房・スタジオをナンシーに構えた。そこで、鉄製のランプやシャンデリア、階段の手摺などの製作・デザインを手掛けた。
1927年、「ロベール・マレ=ステヴァンス」から「レーファンベール邸」の入り口格子のデザイン・制作の依頼を受けたことを契機に、「ル・コルビュジエ」を中心とするサークルと関係を持つようになり、1930年に「ロベール・マレ=ステヴァンス」、「ル・コルビュジエ」、「シャルロット・ペリアン」らと共に、「現代芸術家連盟」の創立メンバーとなった。
1931年、義兄「アンドレ・スコット」と共同で、「アトリエ・ジャン・プルーヴェ」を開設した。
1938年に、フランスの建築家「ウジェーヌ・ボードゥアン」、「マルセル・ロッド」らとの共作で、初期の代表作である「クリシー人民の家」(下の写真)を完成させた。

クリンシー人民の家2.jpg

パリ北部のクリシー地区に建てられた文化施設で、外壁に金属パネルを使用しているのが特徴で、フランスで最初に作られたプレファブリケーションによるメタルカーテンウォールの建物として知られている。外側に縦方向に付けられたマリオンなど、その意匠は現在のメタルカーテンウォールと比較しても遜色がない。
当時の新聞には「最初の王冠の宝石」「機械の宝石」と書かれ、センセーショナルに、そして機械賛美の非常に前向きなプロジェクトとして捉えられていたようである。
1947年に、フランス、ナンシー郊外のマクセヴィルに新工場を開設し家具の製造やアルミ製のプレファブ小屋を製造した。
1950年から1952年にかけて、フランス・ムードンに「ムードンの工業化住宅」を完成させた。

ムードンの工業化住宅1.jpg


都市復興省からの依頼によって、ムードンのはずれにある起伏の多い森の変則的な地形の敷地に14棟のプレファブの実験住宅群が建てられた。戦後の住宅再供給の緊急の要請に応えるもので、木材と鉄、アルミの素材でできたパネルで構成され、傾斜面を修正する役割の組積造基壇部の上に設置されている。そこに、3タイプの住宅を実現させ、それらは現在でも使用されている。
1953年に、フランス、パリに「モザール広場のアパルトマン」(下の写真)が完成した。

モザール広場のアパルトマン.JPG

「リオネル・ミラボ」との協働による「モザール広場のアパルトマン」では、外壁のアルミパネルのファサードのデザイン設計が主であった。この外壁のアルミパネルは、可動式で出来ていて、雨戸と使用したり、庇として使用することができる。
1954年には、フランス、ナンシーに「自邸」(下の写真)を完成させた。

自邸.jpg

マクセヴィルの工場の株主との衝突によって工場を離れたために、工場に散在していたパネルを買い取って、プレファブ住宅として「自邸兼アトリエ」を完成させた。
1956年に、フランス、パリに「アベ・ピエール邸」(下の写真)を完成させた。

アベピエール邸.jpg

「アベ・ピエール神父」のためにセーヌ湖畔建てた住宅は、同じモジュールに大きな関心を示した「ル・コルビュジエ」をして「世界で最も美しい家」と絶賛せしめた。

今回は、「Wikipedia」他を参考に「ジャン・プルヴェ」の住宅建築を中心に紹介しました。

☆参考

○ジャン・プルーヴェ


○ジャン・プルーヴェ


○スタンダードチェア


○ゲリドンダイニングテーブル


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