ルイス・I・カーンの住宅建築

ルイス・I・カーンは、1901年にロシア帝国、エストニア地方のサーレマー島の生まれ、1906年に一足先に渡米していた父に続いて渡米し、フィラデルフィアに住んだ。
1921年に、ペンシルベニア大学美術学部建築学科に入学し、フランス人建築家「ポール・クレ」の下で学んだ。
1924年に、同大学を卒業すると、「ジョン・モントール」事務所に製図工として勤務した。この事務所で、1926年のフィラデルフィア万博の時に、首席デザイナーとして6つの建物を設計した。
その後、「ウィリアム・リー」事務所に移り、1年ほど勤め、グランド・ツアーとしてヨーロッパを1年ほどかけて廻り、フィラデルフィアに戻った。大学時代の恩師「ポール・クレ」の事務所で職を得たが、1929年に起こった世界大恐慌の影響で職を失い、友人の事務所に移るが、不況によって1932年に仕事を失った。
その後、4年間はほぼ失業状態にあったが、1935年に建築設計事務所を開設した。
1937年には、フィラデルフィア住宅局顧問建築家になり、1939年にアメリカ合衆国住宅局顧問建築家にも就任した。
1947年から10年間イエール大学の非常勤講師として教鞭を執った。
彼が設計した住宅建築は、9軒あり、その全てがペンシルベニア州フィラデルフィアに建てられた。
1942年に、フィラデルフィアに「ジェシー・オーザー邸」(下の写真)が完成した。

オーザーハウス3.jpg

木とレンガを使った外観の建物である。「オーザー邸」は、幾度かの転売を繰り返し、2014年に現在の住人ベール夫妻の所有となった。
1947年頃には、同じフィラデルフィアに「ロシュ邸」(下の写真)が完成した。

ロシュ邸.jpg

この家も、転売を繰り返し、2014年に現在の住人にクリストファー・アラダーが所有した。
1950年には、同じフィラデルフィアに「ワイズ邸」(下の写真)が完成した。

ワイス邸2.jpg

1950年に、この家は「AIA金賞」受賞しましたが、2016年の現在解体の危機に瀕しています。
1951年には、同じフィラデルフィアに「ジェネル邸」(下の写真)が完成した。

ジュネル邸.jpg

1957年には、やはりフィラデルフィアに「クリーヴァー邸」(下の写真)が完成した。

クリーヴァー邸2.JPG

この建物も荒廃がひどかったが、2015年に「ケヴン・ライオンズ」に売却された。
1961年に、フィラデルフィアに「マーガレット・エシェリック邸」が完成した。

エシェリック邸1.jpg

彼が考えた空間を「サーブド・スペース」=「仕えられる空間」と「サーバント・スペース」=「仕える空間」に分ける手法をこの家で実施した。(下の図)

エシェリック邸平面.jpg

「マーガレット・エシェリック邸」は、4つの長方形の箱に「サーブド・スペース」、「サーバント・スペース」がそれぞれ2個ずつ交互に配してある。この家も、転売が繰り返されて、2009年に、ペンシルベニア州歴史記念館に登録されましたが、完全復旧されて2014年に現在の住人「ポール・サヴィッジ」と「ダニエル・メイシー」が購入した。
1962年には、フィラデルフィアに「シャピロ邸」(下の写真)が完成した。

シャピロ邸.jpg

この家は、現在もシャピロ家が所有している。
1967年には、フィラデルフィアに「ノーマン・フィッシャー邸」(下の写真)が完成した。

フィシャー邸2.jpg

2011年にナショナル・トラストに譲渡され、この物件の厳重な保護区域を設け、保存目的で、「チャールズ・ファーミン・ディドー」と「ビアンカ・スフォルルニ」夫妻が購入した。
1973年には、フィラデルフィアに「スティヴン・コーマン邸」(下の写真)が完成した。

コーマン邸2-2.jpg

1998年に、息子の「ラリー・コーマン」が引き継ぎ、保存状態はすこぶる良いようである。

今回は、「Wikipedia」、「US MODERNIST」他を参考に紹介しました。

今回は、ここまで!!

☆参考



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