アルヴァ・アールトの住宅建築

「アルヴァ・アールト」は、1898年にフィンランド大公国のクオルタネに生まれた。1903年に、家族と共にユヴァスキュラに移り少年時代を過ごした。その後、アラヤルヴィに移り住んだ。
1916年には、ヘルシンキ工科大学において建築を学び、学生時代に両親の家を設計している。ヘルシンキ工科大学を1921年に卒業して、スウェーデンに渡り、アルヴィート・ビヤルケの事務所で働いた。
1923年に、少年時代に過ごしたユヴァスキュラに仕事を得たために、フィンランドに戻り、建築設計事務所を開設した。彼の本名は、「フーゴ・ヘンリク・アールト」であるが、建築家リストのトップに来るように「アルヴァ・アールト」にしたとされています。
1925年のユヴァスキュラに完成した「労働者会館」(下の写真)から始まった建築設計活動の中から、今回は、彼の住宅建築作品の紹介をします。

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この頃の作品は、新古典主義に基づく作風であった。
彼の最初の住宅建築作品は、1936年にフィンランド、ムンキニエミに完成した「アールト自邸」(下の写真)である。

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彼の独立後、しばらくの間地方都市を転々としていたが、1934年にヘルシンキの定住を決めて、妻のアイノと共に2年がかりで完成させたのが「アールト自邸」である。妻のアイノとは、1924年に結婚し、ハネムーンで出かけた。その旅行先のイタリアで地中海文化にふれたことに、生涯に渡って影響を受けた。「アールト自邸」は、家族の住居部分に大きな窓を設け、そこから差込む光によって明るい空間を演出するように設計され、木材を多用することによって温かな雰囲気の空間を演出している。(下の写真)

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「アールト自邸」で使用されている家具は、アールトや妻のアイノ、後妻のエッリサがそれぞれデザインしたもの使用されている。妻のアノイは、1949年に亡くなり、1952年に建築家エッリッサ・マキニエミと再婚をした。
1938年には、フィンランド、ノールマックに「マイレア邸」(下の写真)が完成した。

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「マイレア邸」は、地元の実業家「ハリー&マイレ・グリクセン夫妻」の依頼で建てられた。建物全体の構成は、L字型プランで、南側の部分に東西に長いボリュームの建物を置かれ、北側部分にプールを備えた広い庭が配置されている。
「マイレア邸」の内部空間にも大きな窓が設けられており、木材を多用して温かい室内空間を演出している。(下の写真)

マイレア邸2.jpg

「マイレア邸」においても、「アルヴァ・アールト」夫妻のデザインした家具等で構成されている。
1953年には、フィンランド、ムーラツッアロに「夏の家」(下の写真)が完成した。

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「コエ・タロ」で知られる「夏の家」は、実験住宅という意味をもっている。「夏の家」は、L字型プランの建物と高いレンガの独立壁で囲まれた小さな住宅であるが、高いレンガの壁によって大きく見える。この高いレンガの壁によって囲まれた空間は、自然からの距離をとり、湖からの吹き込む風を遮り、庭に静けさと安らぎをもたらしている。
1958年には、フフランス、バゾッシュに「ルイ・カレ邸」(下の写真)が完成した。

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「ルイ・カレ邸」は、有名な画商「ルイ・カレ」氏のために建てられた。「ルイ・カレ邸」は、丘の頂上ある敷地に建てられ、そのために周囲は見晴らしの良い眺望に恵まれている。この建物の外観は、大小の建物が集まって構成されたいるために、変化に富んだ形態をしている。個人的な住宅ではあるが、仕事柄多くの美術品を収集しているために、そのためのスペースがある。美術品のために、光の扱いに特に注意が払われて設計されたいる。

今回は、「Wikipedia」、「カーサブルータス」、「アルヴァ・アールト財団HP」他を参考に紹介しました。

今回は、ここまで!!

☆参考







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