フランク・ロイド・ライトの住宅建築

今回は、「近代建築の三大巨匠」のひとりである「フランク・ロイド・ライト」の住宅建築を紹介します。
彼は、アメリカ・ウィスコンス州に生まれ、ウィスコンシン大学マディソン校土木科を中退して、シカゴに移り住んだ。「ジョセフ・ライマン・シルスビー事務所」に務め、1年ほどで事務所を辞めて、「アドラー=サリヴァン事務所」へと移った。そして、1888年以降のほとんどの住宅の設計を任された。
1889年には、イリノイ州オークパークに「自邸と事務所」(下の写真)を完成させた。

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1895年には、ダイニングルームが追加され、1898年には、再び増築を始めた。(下の写真)

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1893年に、アルバイトで住宅設計を行っていたことが「サリヴァン」にばれて、事務所を辞めて独立事務所を設立した。
1894年に独立後、初めての作品「ウィンズロー邸」(下の写真)が完成した。

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装飾された石造り、対称的な外観と大きなアーチがサリバンの影響によるが、ライトの重要な移行時期であり、後の草原様式の特徴である幅広いオーバーハングを持つ低く広い屋根などの要素を体現している。
1904年に、イリノイ州オークパークに「チェニー邸」(下の写真)が完成した。

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この住宅のクライアントの奥さんと不倫関係になり、1909年には、事務所を閉じでその夫人とヨーロッパに逃避行をし、1911年に帰国するまで設計活動は中止していた。
帰国後の1911年に、ウィスコン州スプリング・グリーンに自宅兼事務所「タリアセン」に住んだ。しかし、1914年に「タリアセン」の使用人が、夫人と子供2人、弟子の4人を惨殺し放火し、焼失した。
1906年には、シカゴにプレリースタイルの代表作と言われる住宅「ロビー邸」(下の写真)が完成した。

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シカゴ大学の構内に建てられた「ロビー邸」であったが、クライアントの都合によって14カ月で立ち退いている。スチールビームを使用した史上初めての住宅で、そのために壁から12メートル跳ねだすことが可能になった。
1917年に、ロサンゼルスに「バーンズ・ドール邸」(下の写真)を設計した。

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この住宅の愛称が、クライアントの好きな「ホリホック(立葵)」にちなんで「ホリホックハウス」と呼ばれています。この時期に日本に呼ばれて「帝国ホテル」の設計を並行して行われています。ちなみに、「帝国ホテル」は、1923年に竣工しました。
1923年に、カルフォニア州パサデナに「ミラード邸」(下の写真)が完成した。

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彼が考案したテキスタイル・ブロックと呼ばれるコンクリート製ブロックを使った工法で建てられた第1号の住宅である。ライトによるテキスタイル・ブロック工法の家は ミラード邸をはじめとしてロサンゼルス周辺に4つあり(ミラード邸、エニス邸、ストーラー邸、フリーマン邸の4軒)、いずれもアメリカ合衆国国家歴史登録財に指定されている。
1914年に焼失した「タリアセン」が、その後「タリアセンⅡ」として建築したが、落雷による配電のショートによって火災に遭い、1925年に「タリアセンⅢ」として建設された。

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1929年に、彼を慕う若い建築家や学生の教育のために「フェローシップ」を立ち上げた。ウィスコンシンの「タリアセンⅢ」では、冬の寒さが厳しいので冬の間だけ使用するために、1937年にアリゾナに「タリアセン・ウエスト」(下の写真)を建設した。

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「タリアセン・ウエスト」が出来たことで、「タリアセンⅢ」は「タリアセン・イースト」とも言われている。
1936年に、ウィスコンシン州マディソンに「ジェイコブス邸」(下の写真)が完成した。

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彼が新しい手法によって一般的な家族のために手ごろな価格のコンパクトで魅力的な小住宅として「ユソニアンハウス」と名づけた第一号の住宅である。
1937年に、ペンシルベニア州に「落水荘」で有名な「カウフマン邸」(下の写真)が完成した。

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この住宅は、彼の代表作であり、アメリカのデパート「カウフマンズ」のオーナーである「カウフマン」氏が、週末を過ごすための別荘として設計された。
1939年に、ロサンゼルスに「ジョージ・スタージス邸」(下の写真)を設計した。

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この住宅は、「カウフマン邸」と同時期に設計され、裏側が崖からはみ出しキャンテレバーの構造になっている。

今回は、「Wikipedia」、「フランク・ロイド・ライト財団」、「エルデコラ フランク・ロイド・ライトの本」他を参考に紹介しました。

今回は、ここまで!!

☆参考




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