増沢洵の自邸

今回は、「最小限住宅」の代表作である、増沢洵の自邸「9坪ハウス」(下の写真)を紹介します。

増沢洵(9坪の家)Ⅰ.jpg

彼は、1925年に東京に生まれ、1947年に東京帝国大学工学部建築学科を卒業した。
1947年に、レーモンド設計事務所に入所し、レーモンド事務所の所員であった1952年に、今回の自邸を設計竣工させた。
それは、1951年に金融公庫の融資に当選したために、それから2ヵ月で設計をして、3ヶ月で竣工させている。
彼は、「平面計画に当りまず全体の構造的関係の単純化をはかり、市場品部材の定尺等を考慮してプランを3間×3間の正方形とし、……」たと書いている。(下の図面)
増沢洵(9坪の家)平面Ⅱ.jpg
また、「屋根は、小屋組を用いず棟木から軒桁にかけた棰がそのまま構造材となり屋根材料を鉄板葺きにすることにより通常の建物より軽く」するなどの配慮して最小限の材料で必要な構造耐力を要している。(下の図面)
増沢洵(9坪の家)断面.jpg
この建物は、構造材から家具に至るまで市販に流通している材料を使用して最小限な住居と同時に、最も経済的な建物を目指していた。ただ、この時代は、このような住宅を求めていた時代背景と、金融公庫の条件等の影響もあっと思われる。
しかし、必要最小限の要素を組み込みながら、吹抜け空間を設けることによって、空間に広がりを持たせ、開口部に障子を取り入れることによって空間に豊かさを与えている。(下の写真)

増沢洵(9坪の家)吹抜.jpg

この「最小限住宅」も家族変化によって変化する必要があり、1954年に家族が4人になったことによって、吹抜け部分に床を張って増床した。
そして、1956年には自分の設計事務所を開設するに伴って玄関をつくった。当初は、玄関がなくスノコのベランダから食堂(居間)の脇の下足箱に靴をいれて中に入っていたようである。
さらに三度目の増改築を1957年に行い下屋の増築と、物置をつくった。
そして、1965年に、事務所の所員であった淀川氏の自邸として、解体移築されてしまった。
この「最小限住居」が有する高品質の居住性を広く一般に普及することを目的に、小泉誠、安倍仁史、藤本壮介、松井龍哉などの建築家やデザイナーがリメークを手掛け、デザイン住宅シリーズ『9坪ハウス』として現在販売されている。

今回は、「Wikipedia」、「建築 1972年1月」、「増沢建築設計事務所H.P」などを参考に紹介します。

今回は、ここまで!!

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