坂茂の住宅建築

坂茂は、1957年に東京で生まれ、1976年に成蹊高校を卒業後、ジョンヘイダックが教えるニューヨーククーパー・ユニオンに憧れて1977年に渡米した。
1978年に南カルフォルニア建築大学に入学して2年半学んだ後の1980年に、クーパーユニオン建築学部に編入した。
1984年クーパーユニオン建築学部を卒業した。在学中の1982年から1年間「磯崎新アトリエ」に在籍した。
卒業後は、二川幸夫のアシスタントを務めた。1985年に、「(株)坂茂建築設計」を設立した。
1986年に、長野に「ヴィラTCG」(下の写真)が完成した。

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川で半分に分かれた傾斜地と、巨大な石窯を残して、窯を見るための北側のファサードの中央に小さな開口部を有する石壁と、カナディアンレッドの杉で作られた壁に沿って階段や廊下などの循環路を配置し、レンガで形成する円筒の中に、キッチン、バスルーム、暖炉等を配置してある。
1990年には、長野に「ヴィラトリノ」(下の写真)が完成した。

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東西に立てた2枚の壁が南北方向に開放的な風通しのよい空間をつくり、内部と外部の調和を図っている。2枚の壁の間に集成材の大梁を渡し、それらを一体として地面から引っ張ってバランスをとる構造にしている。
1992年に静岡に「PCパイルの家」(下の写真)が完成した。

PCパイルの家.jpg

敷地は場所によっては45度以上にもなる急斜面であるが、良好な周囲の景色とプライバシーを確保し、ローコストで実現するために、PCパイルを独立基礎に差しこみ、それに床と屋根を支持させている。東南2面はガラスで眺望に対して開き、西北2面はポリカーボネートを2重に張り、間に発泡スチロールの粒を充填することで、断熱性の高い壁としている。
1993年には、山梨に「ダブル・ルーフの家」(下の写真)を完成させた。

ダブルルーフの家.jpg

積雪量の多いこの地域において、架構を大きくせずにこの積雪に備えるために、屋根と天井を切り離すダブルルーフを考案している。天井は屋根から吊られていないので、屋根のたわみが規定を超えても影響がなく、積載荷重がほぼゼロの屋根となっている。
1995年に、山梨に「家具の家№1」(下の写真)が完成した。

家具の家№1.jpg

「家具の家」は、工場生産された家具に構造的そして空間構成的役割をあわせ持たせることで、躯体と家具を兼ねることによって、材料と手間が減って工期が短縮され、総工費の削減もできる。
1995年に、東京に「カーテンウォールの家」(下の写真)が完成した。

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3階から2階にかけてテント地のカーテンは、視線を遮ったり、遮光するだけでなく、内側のガラス引戸を閉めてカーテンとの間を断熱スペースに出来る。伝統的な日本家屋の障子、襖、雨戸、簾などにみられる開放性と室内環境のコントロールの仕方をこのカーテンウォールで再現している。
1997年には、長野に「壁のない家」(下の写真)が完成した。

壁の無い家.jpg

山側の床スラブを曲線状に屋根までめくり上げて屋根と床とを一体化し、背後の土圧を受けるようにして、3方は壁がない家である。視界が開けた谷側にある3本の柱は、鉛直力だけを負担している。
2002年には、静岡に「ピクチャーウインドウの家」(下の写真)が完成した。

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2階全体を梁せいとした20メートルスパンのトラスを構成し、1階を20m×2.5mのピクチャーウインドウとして、水平に広がる景色を切り取り、さらには海からの景色の流れを建築が仕切ってしまわずに、裏の雑木林に連続させている。
2009年には、東京「公園を望む家」(下の写真)が完成した。

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緑豊かな公園や、隣接する神社の桜の大木を臨むことのできる立地条件に呼応し、道路斜線制限からくる、ゆるやかな曲線を描く集成材が、柱・梁となって主要構造を担い、開放的な空間を演出している。
2015年には、山梨県の小渕沢に「無垢杉の家」(下の写真)が完成した。

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「ミース・ファン・デル・ローエ」の「ファンズワース邸」がコンクリートそしてブロックを使って構造と間仕切りとした壁を、内部空間からランドスケープへと空間のシークエンスを繋ぐ装置としたように、この家では無垢の杉材の壁とスラブ(天井・屋根)によって部屋ごとに様々な景色を切り取り、さらに隣家や道路を隠す役割も果たしている。
彼は、1995年の「阪神・淡路大震災」の後、被災地支援のために「ボランタリー・アーキテクツ・ネットワーク(VAN)」を立ち上げ、国内外の被災地支援で活躍している。震災後のログハウスや教会の集会所を「紙(紙館)」で制作して、「紙の建築」を手掛けている。
2014年には、「プリッカー賞」を受賞している。

今回は、「Shigeru Ban Architects」、「日経アーキテクチュア」他を参考に紹介しました。

今回は、ここまで!!

☆参考


坂茂の建築現場




紙の建築 行動する――建築家は社会のために何ができるか (岩波現代文庫)




坂茂の家の作り方 (くうねるところにすむところ:家を伝える本シリーズ 30)




坂 茂の建築 材料・構造・空間へ




SHIGERU BAN



posted by Bokusai at 05:09Comment(0)住宅

中村好文の住宅と建築

彼は、1948年に千葉県九十九里町で生まれ、1972年に武蔵野美術大学を卒業し、数年間宍道設計事務所に勤務・退職した。その後、東京都立品川職業訓練校木工科で家具の製作を学んだ。
1976年から1980年まで「吉村順三設計事務所」に勤務して、家具製作アシスタントを務めた。
1981年に独立して設計事務所「レミングハウス」を設立した。
1987年に、長野県に「三谷さんの家」(下の写真)が完成した。

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オーナーの三谷さんは、木工デザイナーであり、もともと物置小屋だったところを増改築した、8坪の最小住宅である。
1994年に、千葉県長南町に「美術館 as it is」(下の写真)が完成した。

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房総半島の中央部にある町、長南町につくられた小さな美術館で、「as it is」は「あるがままに」という意味です。
土蔵や小住宅を思わせる建物は、アジア、アフリカなどで日常生活に使われていた工芸品を展示している。
2007年に、愛媛県松山市に「伊丹十三記念館」(下の写真)が完成した。

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映画監督「伊丹十三」の記念館で、「常設展示室」には、「伊丹十三」の足跡を具体的な資料でたどることができるよう、十三の名前にちなむ13のコーナーが設けてあります。
2005年に、長野県御代田町に「Lemm Hut」が完成した。

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エネルギー自給自足を目指す実験的な小屋であり、もともとこの場所に住んでいた開拓者の簡素な住宅と土地を借り受けて、構造体のブロック壁だけを残して増改築した。
2011年に、京都府京田辺市に「レストランルスティク」(下の写真)が完成した。

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「ルスティク」とは、フランス語で「ひなびた」とか、「田舎の」という意味で、京田辺の郊外に建っています。近くには、同社大学の田辺キャンパスがあります。
2015年に、奈良県奈良市に「鹿の舟」(下の写真)が完成しました。

鹿の舟2.jpg

奈良の観光案内施設と食堂が融合した複合施設です。
彼は、様々な建物を紹介するエッセイストとして執筆活動を行っている。

今回は、「Wikipedia」、「新建築ONLINE」他を参考に紹介しました。

今回は、ここまで!!


住宅建築家 三人三様の流儀




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食う寝る遊ぶ 小屋暮らし




建築家のすまいぶり (エクスナレッジムック)





posted by Bokusai at 04:04Comment(0)建築