竹原義二の住宅

彼は、1948年に、徳島県に生まれ、1971年に大阪市立大学富樫研究室を経て、石井修/美建・設計事務所に勤務した。
1978年に、「無有建築工房」を設立した。
彼の設計した住宅には、古い順番に№がふられている。
1993年に完成した「住吉山手の家」は、№48で、兵庫県神戸市に完成した。(下の写真)

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「自立壁とヴォリュームの構成、屋根と開口部の構成により生まれた立体的なファサードは、道路からの見え掛かりを抑え込み、周辺環境に適切なスケールを与える。」ように設計された。。
1997年には、№70の「東広島の家」(下の写真)を広島県東広島市に完成させている。

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「道路より2m控える庵治石版築積の石積みは道行く人の視線を水平に切り取る。ヴォリユームのずれ、分断された2枚の屋根、その亀裂をつなぐように延びた庇はエレヴェーションを鋭く切り込み、視線の先に抜けをつくる。」ように設計された。「庵治石」は、香川県高松市の庵治町から産出した花崗岩である。
2000年から、大阪市立大学大学院生活科学研究科教授に就任した。
2000年には、№93の「比叡平の家」(下の写真)が滋賀県大津市に完成した。

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「南北の壁に開口部を穿ち、内と外の緩衝帯となるよう、室の外周に回廊を巡らせ、殻とその内なる被膜で平面が構成され、回廊の狭間に浮かぶ室は程よいスケールをもつ。」ように設計された。
2001年には、№99の「箱作の家」(下の写真)が大阪府阪南市に完成した。

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「2層分の高さをもつL型の棟は敷地を囲い取り、内側へと開かれ、平屋の棟は屋上庭園となり、2棟のズレに生まれた余白は町に開放される。」ように設計された。
2002年には、№101の「101番目の家」(下の写真)が大阪府豊中市に完成した。

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この住宅は、彼の「自邸」である。地下1階地上2階、建築面積65.22㎡、延床面積156.2㎡の大きさの建物であるが、コンクリート造に、木材を多用した独特の空間構成をなしている。(下の図)

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図面上の平面構成は、シンプルであるが、木材を使用した仕上げ方法によって独特の空間を演出している。(下の写真)

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上の写真は、比較的分かりやすく、左側の階段は2階への昇降の外部階段で、その手前に地下の吹く抜け開口があります。壁柱の後ろに建具で仕切られるようになっていて、奥が外部扱いになっています。外部階段を昇ると2階のテラスになります。(下の写真)

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外部階段を昇った奥に部屋があれ、突き当りの素通しの通路は、風の通り道になっています。写真左側の隣家の境に板状に組んだ反射塀は、光を取り込む効果があります。
2004年には、№118の「額田の家」(下の写真)を愛知県額田郡に完成した。

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「敷地を三分割し、中庭を挟んで高さの異なる2棟が対峙する。2棟はL型に伸びる薄い屋根とデッキによって結ばれ」ている。写真奥の2階建てと手前の平屋建てがL型でつながれています。
2007年に、№141の「乗鞍の家」(下の写真)が愛知県名古屋市に完成した。

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「雁行するファサードに、コルテン塀、切石積みの壁、コンクリートの水平スラブが自立構成し、その上に薄い小庇抑え込まれた板張りの箱が乗る」ように設計され、2棟の建物で構成された独立した2世帯住宅である。
2009年には、№148の「大川の家」(下の写真)が福岡県大川市に完成した。

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「資材置き場から住宅を切り離すようにコンクリートスラブで基壇を浮かし、堤防の高さまで1階の床レヴェルをあげて築後川への眺望をとる」ように、設計された住宅です。住宅の手前に資材置き場の木材が山積されていて、建物のファサードがよく見えない。

今回は、「竹原義二の住宅建築」、「新建築」他を参考に紹介しました。

今回は、ここまで!!

☆参考





posted by Bokusai at 09:17Comment(0)住宅