吉田五十八の住宅

今回は、近代数寄屋建築の第一人者である吉田五十八の住宅建築を紹介します。
彼は、1894年に、太田胃散の創業者太田信義の五男第八子として東京日本橋に生まれ、1909年に母方の吉田姓を継いだ。
1915年に、東京美術学校の図案科に入学し、岡田信一郎に学ぶ。在学中から、住宅や店舗の設計を手掛けて、1923年に卒業した。
1925年に、ヨーロッパ、アメリカを廻り、モダニズム建築を見て回った。しかし、モダニズム建築より古典建築に強い感銘を受けて、日本の伝統的建築を勉強し、数寄屋建築の近代化に注目した。
1919年から住宅を手掛けたが、最初の「吉井邸」から1933年の「稀音家六四郎邸」まですでに現存していない。
1934年に、東京都大田区馬込に「小林古径邸」が完成した。2001年に新潟県上越市に移築されて一般公開されている。(下の写真)

小林古径邸.jpg

新築当時の住宅は、京都の宮大工棟梁・岡村仁三氏によって施工・完成した木造二階建ての数寄屋造りの住宅である。
「小林古径」は、新潟県高田、現在の上越市に生まれた日本画家である。そのために、1993年解体されたものを1995年上越市が購入して1998年から復元工事にかかり、2001年に完成した。
1936年には、静岡県熱海市に「杵屋六左衛門別邸」(下の写真)を完成させた。

杵屋別邸.jpg

「杵屋六左衛門」は、1916年に14代を襲名して、父の代まで三味線方の家系であったが、江戸長唄唄方に転向した人間国宝である。
1941年には、静岡県熱海市に「惜櫟荘岩波茂雄別邸」が完成した。その後、近くに住んでいた小説家の「佐伯泰英」が、2008年に買い取り解体修復工事を行って2011年に完成した。(下の写真)

惜櫟荘.jpg

この住宅は、もともと岩波書店の創業者「岩波茂雄」の別荘として建てられたものである。
1944年に、神奈川県二宮町に「自邸」を完成させた。この「自邸」は、以前紹介しましたので、「吉田五十八の自邸」を参照して下さい。
1952年には、東京都新宿区の「梅原邸」の敷地内にアトリエとして「梅原龍三郎画室」が完成した。この住宅は、梅原龍三郎が亡くなってから、山梨県北杜市にある「清春白樺美術館」の敷地内に移築された。(下の写真)

梅原アトリエ.jpg

「清春白樺美術館」(下の写真)は、武者小路実篤や志賀直哉を始めとする白樺派同人よる美術館構想を親交のあった吉井画廊の吉井長三が私財を投じて、「清春芸術村」の基本設計を「谷口吉郎」に依頼し、その息子の「谷口吉生」が設計し完成させた。

清春白樺美術館.jpg

この「清春技術村」には、他にも前回紹介した「藤森照信」が設計した茶室「徹」(下の写真)がある。

茶室徹.jpg

この茶室は哲学者「谷川徹三」を記念して2006年に完成した。
1954年には、神奈川県葉山町に「山口蓬春画室」(下の写真)が完成した。

山口蓬春邸.jpg

「山口蓬春」が亡くなった後、夫人によって守られて来たが、1990年に「R東海生涯学習財団」が譲受け、1991年に「山口蓬春記念館」として、建築家「大井匡」によって設計されて開館された。(下の写真)

山口蓬春記念館.jpg

玄関の脇にガラス張りのテラスがあり、玄関を入ると展示室がある。右側には住居があり、吉田五十八が一部増改築を行っている。そして、左側に今回の画室がある。
1958年に、東京新都新宿区に「梅原龍三郎邸」を完成させた。没後、吉井長三が尾道にあるマンション建設反対で市民が購入した土地の利用のために「清春白樺美術館」の分館として「尾道白樺美術館」を作ることになり、この住宅を移築して1999年に復元された。(下の写真)

尾道白樺美術館.jpg

維持が困難になり、2005年に尾道市にこの美術館は寄贈された。そして、2007年からは尾道市立大学が運営を任されることになり、、2008年に「MOU尾道白樺美術館」として開館し、2012年に[MOU尾道市立大学美術館」に改称された。
1962年には、神奈川県鎌倉市にあった民家の改修が完了して、「吉屋信子邸」(下の写真)として使用された。

吉屋信子邸.jpg

小説家「吉屋信子」が没後、1974年に鎌倉市に寄贈され、「吉屋信子記念館」として開館されている。
1944年に、京都市上京区に京都の名工「北村捨次郎棟梁」が手掛けて「旧北村邸(四君子苑)」が完成した。その後、「吉田五十八」によって母屋が建て替えられて1965年に完成した。(下の写真)

北村邸.jpg

「四君子苑」は、四君子の菊、竹、梅、蘭の頭文字が「きたむら」と読めることから、主の「北村謹次郎」が名づけた。写真左のレンガタイルの建物が「北村美術館」であり、北村氏の古美術、茶道具などの取集品の展示を目的とした美術館です。
1967年は、東京都世田谷区に「猪俣邸」(下の写真)が完成した。

猪俣邸.jpg

猪俣夫妻が亡くなった後、世田谷区に寄贈され、1999年から「猪俣庭園」として一般公開されている。
1969年に静岡県御殿場市に「岸信介邸」(下の写真)が完成した。

岸邸.jpg

2003年に御殿場市に寄贈された後、「東山旧岸邸」として一般公開されています。
1974年に、結腸ガンにより逝去されました。
「吉田五十八」の数多くある建築の内から、現存する住宅作品を紹介しました。

今回は、「Wikipedia」を中心にそれぞれのホームページ等を参考に紹介いたしました。

今回は、ここまで!!

☆参考


建築家吉田五十八 -




惜櫟荘だより -




posted by Bokusai at 10:20Comment(0)住宅