白井晟一の建築Ⅳ

今回が、後半最後の「白井晟一」の建築作品の紹介になります。

1974年に、東京都港区に「ノアビル」完成した。彼の代表作品でもある。

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「ノアビル」は、黒い円筒形の特徴的な外観を持つ建物は、外観表面は硫酸銅で黒く処理されたパネルで覆われ、円筒の土台部分はレンガ造の仕上げになっている。

1974年には、茨城県日立市の「茨城キリスト大学」構内に建てられた「サンタ・キアラ館」が完成した。

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「サンタ・キアラ館」は、「ノアビル」の土台部分同様のレンガ造の仕上げである。ここには、彼の作品「サン・セバスチャン館」もある。

1978年に、東京都中野区に「杉浦邸」が完成した。

杉浦邸3.jpg


「杉浦邸」は、息子の「白井昱磨」がRC構造の2階建てとして設計していたが、「昱磨」が海外出張中に設計をやり直して、木造の2階建てに設計変更をしてしまったいきさつがある。

杉浦邸4.jpg

「杉浦邸」の中庭の外観であるが、施主である杉浦氏が60歳の時に建てられ亡くなる99歳まで住み続けられてきたが、転売されて現存しなくなった。

1980年に、東京都渋谷区に「渋谷区立松濤美術館」が完成した。

松濤美術館2.jpg


「松濤美術館」は、企画展を中心に渋谷区に関係する公募展、絵画展の他に、音楽会や美術教室なども行われている。外観の紅味を帯びた韓国産の花崗岩(紅雲石)とブロンズ製のグリルと化粧垂木、銅板葺きの屋根で構成されている。

1981年には、静岡県駿河区に「芹沢銈介美術館」が完成した。
航空写真の左側の建物が「石水館」で、屋根で覆われた中央部分が「「芹沢銈介美術館」である。(トリップアドバイザーより)


芹沢銈介美術館2.jpg

中央にある噴水池が中庭で、それに向かって歩いて突き当り左側に入り口が見える。

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外壁がすべて石積み仕上げで、屋根が銅板葺の建物は、「白井晟一」の集大成のような空間の建物である。

今回は、「Wikipedia」他を参考に紹介しました。

☆参考

 ○白井晟一精神と空間   ○白井晟一の手と目   ○白井晟一(現代建築家)

        







白井晟一の建築Ⅲ

今回は、1965年以降の「白井晟一」の建築を紹介します。

1965年に、富山県富山市に「呉羽の舎」が完成した。

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彰国社の「木造の詳細、3住宅設計編」より

「呉羽の舎」は、当時木造建築のお手本とされた建物で、彰国社の「木造の詳細、3住宅設計編」に全ての図面が紹介されている。今は、所有者が変わっているが、今も大切に住み継がれる。

1570年に、長崎県佐世保市に「親和銀行本店」が完成した。

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「 親和銀行本店」は、3期に渡って増改築がなされた。最初に、写真手前の黒い円柱の上に金属パネルの塊がのったような形態の建物が新築され、その後に、左奥に増築棟を新築した。1期目の本店の上部の外壁は、当初は白い大理石で覆われたいたが、大理石が風化したために、現在のように金属パネルで覆われた。
そして、1975年に、3期目として「懐霄館」が建てられた。 


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「懐霄館」は、コンピューターを設置した電算室の建物である。塔の形態を持つ外壁に積み上げられた石は、長崎産の「諫早石」の砂岩であり、素朴で端正な趣きがある風格を漂わせた感じの外壁が特徴的である。

1970年、東京都中野区に「自邸(虚白庵)」が完成した。

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「自邸(虚白庵)」は、現存していないが、コンクリート塀によって固く閉ざされたような住宅である。

1971年に、秋田県横手市に「昨雪軒」が完成した。

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「昨雪軒」は、「横手興生病院」の院長の自宅である。道路からは塀と門屋しか見えないが、門屋をくぐると前面に石庭を持つ純和風の住宅である。
1972年に、北海道留寿都村に「尻別山寮」が完成した。

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「尻別山寮」は、現「ヒノキ新薬留寿都山寮」で、喜茂別町の南西に位置する尻別山の山麓の傾斜地に建つ保養所である。


今回は、「Wikipedia」、「SD特集白井晟一」他を参考に紹介しました。


☆参考


○白井晟一(現代の建築家)  ○白井晟一空間読解        ○無窓        


    





 
posted by Bokusai at 16:00Comment(0)建築

白井晟一の建築Ⅱ

1953年以降の「白井晟一」の建築作品を紹介します。

1956年に、群馬県安中市に「松井田町役場」が完成した。

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戦後の建築界で巻き起こった「伝統論争」の引き金となった建物で、「畑の中のパルテノン」と呼ばれ、山間部の町に建設された役場としては、デザイン的にも鉄筋コンクリート造の構造的にも珍しい建物であった。1992年に、「新庁舎」が完成したことで、移転した後は、「公民館」として使用されて「文化財資料室」として町内の遺跡などからの「出土遺物」を展示していた。現在は、耐震強度上の問題から閉館している。

1957年に、秋田県大仙市に「奥田邸」が完成した。

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「奥田邸」は、延宝年間(1673~1681)に創業し、奥羽山系の良質な水、多雪寒冷な気候、良質米を使用して、協和の地酒として銘酒「千代緑」を作り続けている「奥田酒造」の店舗兼住宅である。この建物は、国の「有形文化財」に指定されている。なだらかな切妻屋根と軒深く奥まった壁のファサードは、これまでの特有のデザインである。

1958年に、東京都台東区に「善照寺本堂」が完成した。

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「善照寺」は、銅板噴きの切妻屋根の高床式の建物で、大きく張り出した軒、片持ちスラブの基壇と浮いたような階段によって、閉鎖的な外観に軽快で浮遊感を生み出してたファサードのデザインである。

1959年に、秋田県湯沢市に「四同舎」が完成した。


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「四同舎」は、黒塗りの鋼板製の柱型と素朴な風合いの白いタイル、最小限の開口部と量感のある屋根のファサードで、2階会議室のバルコニーに面する開口部は大きく室内を明るく照らす彼特有のデザインである。竣工当初は、「湯沢酒造」関係者の結婚式の会場として使われたが、数年前に譲渡して所有者は変わっている。

1959年に、東京都世田谷区に「増田夫妻のアトリエ」が完成した。

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「増田夫妻のアトリエ」は、ボックス型の形態で、軒の出は大きく、奥まった白い外壁に大きな開口部の木造住宅であるが、この建物には玄関スペースと呼べるものがなく、テラスからダイニングルームに直接入るようにアプローチされた狭小住宅である。

1963年に、長崎県長崎市に「親和銀行大波止支店」が完成した。

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「親和銀行大波止支店」は、石張りの曲面をした外壁に、アーチ型の大きな開口部がついたファサードの前に、水平ラインを強調したような庇によって、建物を分断したようなデザインの建物である。

今回は、「Wikipedia」他を参考に紹介しました。

☆参考

○白井晟一        ○白井晟一の原爆堂    ○白井晟一の手と目

        




posted by Bokusai at 10:30Comment(0)建築